創業明治二十年の新潟の老舗白玉屋
渡英商店は、明治20年(1887年)に北越の小京都と言われる
新潟県加茂市で白玉粉製造業として山世商会という社名で創業しました。
初代渡辺虎平が白玉粉の連続的な大量生産技術を確立し、戦前は日本一の生産量を誇っており加茂市を代表する産業でした。
いち早く株式会社化もし、当時で従業員数100名以上で、工場内にはトロッコ列車が走っていたそうです。
2009年には、新潟日報にて発表された
「新潟の宝」にも選ばれるなど、現代においても新潟の皆さまに親しまれております。
安心・安全
平成27年、渡英商店は新潟県県央食品衛生協会より
「食品衛生優良施設」として表彰されました。 いろいろ表彰して頂いたことも大変うれしいことでございますが、ある意味ではこの表彰が一番うれしいことかもしれません。そしてお客様にとって一番心配される部分でもあると思います。ご安心ください。渡英商店は安心・安全な食品(一升餅)をお届け致します。
加茂市はマカロニ製造の発祥の地でもあります。
白玉製造の機械とマカロニ製造の当時の特注機械は、同市神林鉄工によるものです。
どちらの機械も現存しており、白玉粉製造機械は現役です。
マカロニ製造機械は、同市の県食品研究所に展示してあります。
戦後、GHQの米の統制により商売ができなくなり山世商会は一旦解体しました。
その後、女性達の手によって、ヤミ米を風呂場で石臼挽きしながら細々と技術伝承し、3代目渡辺英一の時、
渡英商店とし白玉粉製造で再スタートしました。
白玉粉製造〜包装餅製造〜そして今の現状
昭和40年より餅製造にも着手し、渡辺英一が初代の餅工業協同組合の理事長を務めるなど今日の餅流通に至る礎を築きました。
4代目は、あんこ製造など和食材の新たな分野を確立し、現在5代目となります。
現在の会社の指針は、「原点回帰としぶとい老舗」です。
老舗を維持するには、並大抵の覚悟ではできないことと実感しています。
歴史の重み、過去からの遺産、例えば古い機械や設備もあります。
弊社は白玉工場だけを見ると、文化財レベルです。当初は昔ながらの機械で昔ながらの製法でを売りにしていましたが、
これは古い会社の上等手段であることを実感しています。
おいしい・安心・安全・安定供給が最低条件になってきます。
餅工場は、ようやく現代にマッチするレベルまで整備しました。
と言った具合で老舗の後継ぎには、ゼロ地点までまずは持ち上げるという仕事があります。
重い蒸気機関車を押し返すようなものだと私は表現しています。
ロングセラーの専門店へ
現在は、餅工場の整備はほぼ終わりましたので、専門分野である50年続くロングセーラー商品「イタモチ」の業界シェアNo1を
目指し取り組んでおります。
イタモチは、現在業界内ではなくなりつつあるパッケージスタイルの包装餅ですが、全国に根強いファンはたくさんいます。
理由は、つきたてを即真空パックするので、風味が逃げません。
また、板チョコのような筋目があり、簡単に個々にできますしゴミも少なくて済む、そして厚みが10ミリと市販品のお餅より
薄いことで調理時間の短縮ができるというメリットがあります。
今やこだわりのつう好みのお餅となっております。
弊社はそのイタモチの専門店化を目指しております。
一見製造工程はシンプルな様ですが、50年前に開発されたスタイルであり、そこここに技術力・熟練度が必要なパートがあります。
製造工程にかなりの熟練度が必要であることから、製造できる会社が減ったのだと思います。
弊社は、その熟練度の維持と伝承にこそ未来があると思っております。
一升餅にデザインを
餅分野では、他にも「一升餅」に力を入れています。
お子様の一歳の初誕生日に一升分(約1.8Kg)のお餅を背負わせるとすくすく育つという日本の風習に使うお餅です。
独自に開発した食用絵具を使い、一個一個手描きで鯛の絵とお子様のお名前を
描くなど、差別化を図っており、この分野でのブランド化を目指しています。
白玉粉に関しては、現在新潟県産こがねもちを石臼挽きしたとても贅沢なものを細々と製造しています。
理由は、機械の整備メンテナンスに時間がかかり大量生産とはいかないからです。
餅工場が一段落しましたので、次は白玉工場の番です。
戦前は、日本一の生産量を誇っていたのに、現在はたった2個しか残ってない石臼でしぶとく製造してます。
当時は30個の巨大石臼で連続生産していたそうです。
2017年は、白玉工場を歴史的な機械達を守りながらある程度の生産性、安心・安全な工場レベルまで引き上げることが目標です。
また、白玉工場は、歴史的に価値のあるものですので、公開するなどその魅力を発信したいと考えています。