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卯月製麺の歴史

公開日:2024/08/30 更新日:2024/09/18
蔵王連峰や出羽三山といった名峰に四方を囲まれる山形県。 盆地特有の夏の暑さや、豪雪の冬という気候風土が、果樹や米などの農産物を豊かに育んできました。ソバもそのひとつで、芋など畑作物の後作や土地の有効利用のためにそれぞれの集落でソバが植えられ、大切に守られてきたという歴史があります。 その昔、集落では家々の家長(男衆)が集まり、意見を交わしながら様々な決め事を話し合いました。今で言う町内会のようなものですが、話し合いが終わるとお楽しみの宴会の始まり。今度は女衆の出番です。近隣の家から助っ人も加わり、打った蕎麦を次々とゆでていきます。その量は半端ではなかったことでしょう。 振る舞われた蕎麦を囲み、酒を酌み交わしながらの親睦。手打ち蕎麦を前に皆が笑顔で談笑する…身近でありながらも大いに〝もてなしの心〟を感じられたのが蕎麦でした。 このような会合のとき、蕎麦は木の板箱にひと盛りにして振る舞われました。ひと盛りにしたものを「皆で分け合う」ことにより深まる人との繋がり…それが「板に付く」ように、という願いも込められており、蕎麦を木箱に盛る山形特有の〝板そば〟の原形になったとも言われています。
当地での卯月製麺の歴史は、明治時代に初代・卯月吉助が米穀商を始めたことに端を発します。二代目・啓助の時代には米の統制が始まったことで下駄工場などに業種を転換、その後、二度の戦争を経て昭和二十四年には肥料売買の営業許可を取得、そしてこの肥料売買こそが後の生業に繋がっていきました。 戦後の食糧難で米は不足し、そのため主食となる穀物の栽培は必須となり、中でも小麦への依存度は高かったようです。こうした状況のもと、農家に肥料を配達するついでに、その農家で栽培した小麦をうどんに加工する仕事を受け始め、これが製麺業のきっかけとなりました。
昭和二十六年、啓助の後を継いだ三代目・正美が製麺業を軌道に乗せ、うどん以外に蕎麦を手がけるようになります。これが現在の卯月製麺の基礎となりました。画期的なのがその販売手法で、国鉄の貨車による全国への個人販売を思いつきます。  これは「故郷を離れた家族にふるさとの味を届けたい」という地元の方々の声に応えたもので、宅配便などが無い時代に、今で言うところの通信販売の先駆けとも言えるスタイルでした。  昭和四十七年頃、長女の美智子が東京都内の百貨店で開催された山形の物産展において、麺をご購入いただいた方々に寒河江の特産品「さくらんぼ」の小パックをプレゼントするなど女性ならではのアイデアと、きめ細やかな心遣いでお客様を増やしていきました。  平成十五年には美智子が四代目社長に就任。新工場建設やインターネット販売を始めるなど生産・販売両面の体制を整え社業を大きく発展させました。
現在の社長、卯月亮は平成二十八年に五代目として就任。通信販売に大切な電話応対品質の向上を目的としたコールセンターシステムの導入や、より安心・安全への高まりを受け、酸素バリア包装やX線検査機の導入など、時代の声に耳を傾けて歩んでおります。 『 不易流行 』 これからも「大切に受け継いでいくもの」「時代に合わせ変化させていくもの」を見極めながら、お客様に喜ばれる「麺づくり」に研鑽を積む卯月製麺であり続けたいと考えます。
更新日12/2612/1912/25集計