まんじゅうのルーツは中国、時代は三世紀、三国志でおなじみの諸葛孔明が戦の際、荒れ狂う川を鎮めるための捧げものとして発明したと言われています。始めは肉饅頭でした。日本では室町時代、中国の林浄因が、日本に渡来し、肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作りこれを皮に包んで蒸し上げました。これが日本のまんじゅう文化の始まりです。
この林浄因が、日本三大まんじゅうのひとつ「志ほせ饅頭」塩瀬総本家の始祖であり、貞和5年(1349年)奈良でまんじゅう商いを始めました。ふわふわとした皮の柔らかさ、小豆餡のほのかな甘さが、寺院に集う上流階級に大評判となりました。
江戸時代になると、まんじゅう好きの将軍や大名が数多くあらわれ、各地で自慢の名物まんじゅうが生まれていきました。そのひとつが、天保8年(1837年)初代伊部屋永吉創業の備前(岡山)名物「大手まんぢゅう」です。店舗が岡山城大手門の附近にあったことから備前藩主池田侯が命名されたと伝えられています。その親しみやすい名前と風味豊かな味わいは、当時の人たちに備前名物としてご好評をいただきました。 また落語でも「饅頭恐い」や「東海道中膝栗毛」など、まんじゅうが題材となり庶民の文化として、ますます身近なものになっていきました。
東北地方では、嘉永5年(1852年)奥州街道の宿場町郡山宿で、初代本名善兵衛が、「百歳の翁にも三歳の子どもにもまんじゅうは国民の滋養である」として、皮が薄く、こしあんがたっぷりのまんじゅうを考案いたしました。黒船来航一年前のことです。
こうして時代を経て、まんじゅうは世代を問わず誰からも喜ばれる日本の文化として深く根付いていき、今もなお愛され続けています。
◎薄皮饅頭、大手まんぢゅう、志ほせ饅頭
日本中に饅頭の種類はどれくらいあるのか。一説によればその名の通り、万と十ほどもあるという。それほど人々に親しまれてきた菓子ということだろう。
その万を超える中でも、味、姿、風格と、三拍子揃った日本を代表する三大名物饅頭がこれ。
◆薄皮饅頭(福島県)
嘉永5年(1852)に創業の福島県郡山市の「柏屋」。この店で代々作られてきたのが、一度食べたら忘れられない味と評判の薄皮饅頭である。
黒砂糖風味の薄皮とこしあんのマッチングが絶妙で、舌の上にのせた時、その甘さが口全体に広がる。それでいて甘ったるさがいつまでも残らない。どんな時代でも長続きする、あきない饅頭の代表格といえよう。
◆大手まんぢゅう(岡山県)
天保8年(1837)創業の岡山県岡山市の「大手饅頭伊部(いんべ)屋」では、150年以上にわたり、薄い皮にぶどう色のあんが透けて見える大手まんぢゅうを作り続けている。
創業当時の備前藩主・池田公に好まれ、茶会の席では伊部焼(備前焼)とともに愛用されたという。名前の由来は、当時の店舗が岡山城の大手門前にあったため。
◆志ほせ饅頭(東京都)
中国・浙江省出身で、興国2年(1341)に来朝した林浄因を始祖とする老舗中の老舗「塩瀬総本家」。
この店で作られる志ほせ饅頭は、大和芋と上新粉を合わせて練り上げた皮と、ほのかな甘みの小豆のあんからできている。上品な甘さと柔らかい舌ざわりが絶品。
表面に刻印された「志ほせ」の文字が、この饅頭の歴史の深さを感じさせる。
※1993年3月 第1刷発行 加瀬清志/畑田国男 著 株式会社講談社 『日本三大ブック』より引用