母の日にカーネーションを贈るようになったきっかけは、アメリカで行われていた南北戦争の時代にまで遡ります。1861年から1865年まで続いた南北戦争は、アメリカ国内で多くの犠牲者を生み出しました。特にウェストバージニア州では北軍と南軍が頻繁に駐屯し、多くの負傷兵が運び込まれていました。当時は、衛生状態が悪く、感染症が広がるなど過酷な状況に置かれていました。その中で立ち上がったのが、アン・ジャービスという女性でした。アンは「母の仕事の日(Mother's Work Days)」というボランティア団体を結成し、衛生環境の改善に取り組みました。
南北戦争の終結後も、アンは地域社会に貢献しながら、医療補助や平和活動、さらに子どもたちへの教育にも力を入れました。しかし、1905年5月9日、アンはその生涯を閉じます。彼女の死を受け、娘のアンナ・ジャービスは、母の偉大な業績を後世に伝えたいという思いを抱き、1907年5月12日に亡き母を追悼する記念会を、母が教育活動を行っていた教会で開催しました。この記念会には、母が好きだった白いカーネーションが祭壇に飾られ、アンナは参加者全員にその花を配りました。この出来事をきっかけに、カーネーションが「母の日」の象徴として広がり始めたとされています。