古くは平安時代末期の絵巻物「信貴山縁起絵巻」(1130年代)に、庶民の家の出入口に現在の半暖簾に似た短い布が描かれており、その頃から生活の中で使われていたことが確認できる最古の記録とされています。
この記録から暖簾は、奈良時代から平安時代には暖簾が存在していたと推測されています。「暖簾(ノンレン)」という言葉は、中国禅宗の寺院で使われた語に由来します。禅寺では夏に簾(すだれ)を「涼簾」と呼び、冬季には簾の上に布を掛けて隙間風を防ぐ垂れ幕を下げており、これを「暖簾(のんれん)」と称していました。この習慣と言葉が鎌倉時代に禅宗と共に中国から伝わり、発音が次第に変化して現在の「のれん」になったとされています 。
時代とともに暖簾の役割は変化。
平安時代、貴族の邸宅などでは、室内への日差しや風塵を防ぎ、部屋を緩やかに仕切るために布を垂らす習慣がありました。
鎌倉時代になり、暖簾に家紋や簡単な模様を入れる例が多くなり、商家も暖簾を使用するようになりました。
室町時代になると独自の意匠を暖簾に施すようになり、店の屋号や業種を知らせる「布の看板」としての役割を持ちました。
江戸時代には、染めの技術が発展し、さまざまな模様や文字などを染め抜くデザインが流行しました。この時代に暖簾は商人文化と共にさらに発展し、暖簾の色が業種を表すなど店頭広告の必須手段となり、お店の「顔」と呼ばれるようになりました。
明治時代以降も暖簾の文化は途絶えることなく受け継がれ、「暖簾を守る」(店の名誉と伝統を守る)といった慣用句としても使用されています。
現在では、日本の文化として、従来のお店の「顔」という役割に加えて、インテリアとしても使用されています。