祖母が教えてくれた味 ―あくまきに込められた家族の物語―
公開日:2025/04/16 更新日:2025/04/16春の終わり、ふとした風のにおいで、思い出すことがある。
土間の奥からふわっと香ってくる、懐かしい木の皮の香り。
それが「あくまき」と知ったのは、もう少し大きくなってからのことだった。
鹿児島の端午の節句に欠かせないこの和菓子は、我が家では毎年、祖母の手で作られていた。
もち米を水に浸し、竹の皮に包み、木灰で煮る――。
ただそれだけのはずなのに、祖母が作ると、なぜだかやさしくて、強い味がした。
小学校5年生の春、私は学校の作文で「わたしの家族」というテーマに悩んでいた。
何も思いつかず、母に相談すると、にっこり笑って言った。
「おばあちゃんに、あくまきの作り方、教えてもらいなさい」
半信半疑のまま台所に行くと、祖母はすでに竹の皮を一枚一枚、水にくぐらせているところだった。
「皮が乾いちょったら、うまく包めんとよ」
そう言いながら、器用に手を動かす姿は、まるで職人だった。
包み終わったもち米の束を、ぐらぐらと煮えたぎる大鍋にそっと入れながら、祖母がぽつりと話し始めた。
「昔、戦争が終わった頃は、食べるものもなかった。でも、あくまきがあれば、みんなで分け合えた」
「こればっかり食べて、よう笑うたもんよ」
私はその時、初めて知った。あくまきには、ただの食材以上の意味があることを。
やがて祖母が他界し、実家の台所からあくまきを煮る匂いが消えた。
寂しくて、もう二度とあの味には会えないと思っていた――。
けれどある年、母が買ってきたあくまきを、何の気なしに切って、きな粉をかけて一口食べた瞬間、私は泣きそうになった。
あの味だったのだ。祖母の、手の中で生きていたあの味。
やさしくて、少しだけ苦くて、なによりあったかい。
家族で囲む食卓に、言葉にしなくても伝わるものがある。
祖母が残したあくまきは、いまでも私たち家族をつないでくれている。
保存食であり、祝いの料理であり、郷土の誇りであり――
あくまきには、たくさんの「想い」が詰まっている。
そしてその想いは、私たちが誰かに食べさせることで、そっと未来へ渡されていく。
子どもが大きくなったら、きな粉をまぶしながら話してあげたい。
「おばあちゃんも、こうやって包んでたんだよ」って。
もしあなたの記憶の中に、誰かと食べたあたたかい味があるのなら。
その味を、今の自分の手で、もう一度よみがえらせてみませんか?
あくまきは、きっとそのお手伝いができるはずです。
ミート21では、そんな“家族の記憶”を届けるように、ひとつひとつ大切にお届けいたします。
今年の端午の節句、ほんのひと口で、あなたの中の誰かと再会できますように。