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味噌はどこから来たのか?日本の伝統食品の発祥と歴史の物語

公開日:2024/11/28 更新日:2025/02/25
味噌は、その深い味わいや旨みと栄養価の高さから、古くから多くの人々に愛されてきました。 しかし、その発祥や歴史についてご存知ですか?実は、味噌のルーツをたどると、驚きと発見がいっぱいです! この記事では、味噌がどのように誕生し、時代とともに日本の伝統食品として進化し、現代の私たちに愛される存在となったのか、その起源と歴史をひも解いていきます。 知れば知るほど面白い味噌の世界を、一緒に楽しみましょう!
味噌の発祥は日本?中国?歴史を深堀り!
「味噌」は、大豆や麹(こうじ)、塩などからつくられる日本の発酵調味料です。古来から愛されてきた味噌ですが、みそはどのように生まれたのでしょうか? 味噌の起源はまだ解明されていませんが、「中国」発祥説と「日本」発祥説があります。それぞれの説には、味噌発祥の歴史や魅力が詰まっています。では、どんなストーリーが隠されているのか、味噌のルーツをたどってみましょう!
味噌の歴史発見!「中国発祥説」
紀元前700年ごろ、中国の周王朝では「みそ」のルーツとされる「醤(ひしお)」文化が栄えていました。醤を造る専門職が存在し、王家の料理には120かめもの醤が使われ、種類豊富な醤が作られていたといいます。 醤は、鳥や獣、魚の肉をたたき潰し、雑穀や麹(こうじ)、塩を混ぜてつぼで熟成させた食品で、「肉醤」「魚醤」「穀醤」と原料により呼び分けられていました。「醤は食の主」としてまつられ、王がひざまずくほど大切にされており、当時の食文化の中心に位置していたことがうかがえます。
味噌の歴史発見!「日本発祥説」
紀元前700年、中国で醤の記録が残る頃、日本は弥生時代でした。 驚くべきことに、さらに遡る縄文時代後期から弥生時代の遺跡で、どんぐりを原料にした「みそ」に近い食品の痕跡が発見されています。最古の記録として味噌が登場するのは中国ですが、日本でも古くから似た食品が存在していた可能性があり、味噌の起源には多くの謎があります。この発見は、日本の食文化が長い歴史を持つことを示しており、味噌が人々の暮らしに密接に関わってきたことを物語っていますね。
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味噌の歴史 みその発展
●飛鳥時代・奈良時代:「醤」や「未醤」が登場● 中国の醤は、仏教伝来や遣隋使・遣唐使によって日本にもたらされたものと推測されています。701年「大宝律令」の制定により、唐にならって「醤院(ひしおつかさ)」という役所が設置されました。ここでは「鼓(こ・くき)」と呼ばれる穀物の発酵食品や「未醤(みしょう)」と呼ばれる大豆発酵食品がつくられ、宮中でも使われていたそうです。しかし、当時の古文書に出てくるのは「醤(ひしお)」や「未醤(みしょう)」であり、まだ「味噌」の文字は出てきません。 ●平安時代:貴重品の味噌● 平安時代になると、醤と日本の発酵食品技術が融合し、現在の「みそ」により近い味が誕生したと考えられています。『延喜式』(927年)には、高級官僚の給与や贈答品として扱われていた記録もあります。 当時の味噌は、現代のものとは趣が異なり、調味料としてではなく、食べ物に直接つけるなどでそのまま食べられていたともいわれています。 そして、日本初の「味噌」という文字は、901年の『三代実録』に登場します。
●鎌倉時代:味噌汁の登場● 平安時代には貴重品だった味噌も、鎌倉時代に入って日本人の食生活に欠かせない存在として進化しました。質素倹約を美徳とし、粗食を実践。その象徴が「汁かけ飯」、つまりみそ汁をかけた麦ご飯でした。「一汁一菜(主食、汁もの、おかず、香の物)」のシンプルな食事は、いつでも「いざ鎌倉」と駆けつける武士の機動力を支え、食文化として定着していきます。 さらに、鎌倉時代後期になり「すりみそ」が禅寺で生まれ、調味料としての用途が広がっていったのです。
●室町時代:自家製の味噌づくりが始まる● 室町時代には武士の食事が一日三度に定着し、「みそ売り」が現れる一方で、農民たちは自家製味噌を作り始めました。さらに、下級武士や公家の間で「汁講(しるこう)」と呼ばれるユニークな「みそ汁パーティー」が流行。主催者が自家製のみそ汁を振る舞い、参加者は持参したご飯とともに味を楽しみ、「このみそ汁は絶品だ!」と褒め合う親睦の場でした。この風習は『桃源遺事』にも記されており、みそが当時の人々をつなぐ大切な存在であったことがわかります。
●戦国時代:戦場での必需品● 戦国時代、味噌はただの調味料を超え、戦場での必需品として重要な役割を果たしました。特に携帯用の「腰兵糧(こしびょうろう)」には、塩やみそ玉などが包まれ、湯に溶かして飲むという工夫も施されていました。 このため、武田信玄、伊達政宗、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、名を馳せた戦国大名の領地では良質な「みそ」がつくられ、時を経て味噌󠄀どころになった地域が多いのです。 ●江戸時代:販売用味噌が流通● 江戸時代、「みそ」は庶民の食卓に欠かせない存在となりました。人口100万人を超えた江戸では、麹やみそを販売する「味噌麹屋」が立ち並び、自家製の「手前味噌」が広まりました。料理本の刊行により、みそ田楽やなめみそ、味噌汁、魚介や肉を使ったみそ料理などが人気を博します。急増する需要に応えるため発酵期間の短い「江戸味噌」も誕生!しかしそれでも不足し、各地から大量のみそが江戸に運ばれ、味噌の商品化が進みました。
●近代:味噌の大量生産スタート● 文明開化の象徴といえば「牛鍋」。その味付けに選ばれたのは、なんと昔ながらの「みそ」!新時代を感じさせる牛肉と、伝統の味噌が織りなすハーモニーは、きっと当時の人々を驚かせ、魅了したことでしょう。 交通網の発達により、それまで地域ごとに色濃い特色を持っていたみそも、広く流通するようになり、工場での大量生産もスタート。機械化により滑らかな製品も登場し、多様なニーズに応える味噌へと進化しました。 ●現代:味噌から世界のMISOへ● 女性の社会進出により、手間を省いた「だし入り味噌」が登場し、味噌汁作りが簡略化されました。 さらに、2013年には和食文化がユネスコ無形文化遺産に登録され、「みそ」は世界から注目を集める存在に進化。「MISO」としてグローバルな食品となりながらも、日本の伝統を守り続けています。 手軽さと美味しさを兼ね備えた味噌は、これからも日本人の食卓を支えながら、世界の食文化にも広がっていくことでしょう。その可能性は無限大です。
おわりに
味噌の発祥と歴史をたどる旅、いかがでしたか? 遥か昔に生み出された味噌が、時代や文化を経て進化し、日本に根付いていく過程は、まさに発酵食品の奇跡ともいえるものです。味噌はただの調味料ではなく、国を超えた文化交流と人々の知恵が詰まった、特別な存在です。 味噌の深い歴史を知ると、食卓の一杯のおみそ汁が、なんだかさらに美味しく感じられる気がしませんか?これからも味噌が食卓に笑顔を運び、世代を超えて愛されていきますように!