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ところてんと寒天は親子?

公開日:2024/08/21 更新日:2024/08/21
ところてんは奈良時代中国から伝わりました
一方、寒天は?
寒天は、日本のオリジナル食品です。 寒天の創案者は、徳川時代に現代の京都伏見で旅宿を営んでいた「美濃屋太郎左衛門(みのやたろうざえもん)」と伝えられています。 外に捨てた「ところてん」が真冬の寒さで夜のうちに凍結し、日中に解凍され水分が抜けて干物になり、その変わりように興味を持った美濃屋太郎左衛門が、これを煮て冷ましてみたところ、ところてん独特の臭みがない、透明な塊ができました。 のちに「ところてんの乾物」と名付けて旅宿のお客に出すようになり、珍味を食べさせるという噂が広まったことがきっかけとなり、多くの人に知られるようになりました。
寒天の名付け親
寒天の名づけ親は、黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)を創設した隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師と伝えられています。萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院です。 ある時、隠元隆琦禅師の一行が美濃屋に泊まった際に「ところてんの乾物」を食べたところ、精進料理として賞賛された美濃屋太郎左衛門。同時に名前を尋ねられたが、まだ名前が決まっていなかった「ところてんの乾物」。"寒天"と名付けてみてはどうかと勧められ、寒天という名前を付けたといわれています。
京都から長野へ
徳川時代に茅野市玉川穴山の小林粂左衛門(こばやしくめざえもん)という人が、関西方面に出稼ぎに出向いた際に寒天製造を知り、気候や気象などが諏訪地方と共通していることと、冬の農家の副業に適していると考え、2年ほど雇われて、住み込みながら寒天の製法を身に付けたあと、郷里玉川穴山にて寒天製造を始めたのが始まりといわれています。