① 母のための作業クラブ(Mother’s Day Work Clubs)
1850年代、アメリカでは衛生環境が悪く、感染症が広がり、幼児死亡率が非常に高い時代でした。アン・ジャービスはウェストバージニア州で「母のための作業クラブ」を結成し、地域の母親たちに衛生管理の知識を広め、以下のような活動を行いました。
・飲料水の浄化
・食品の保存方法の指導
・公衆衛生の改善
・病人や貧しい家庭の支援
これらの活動により、多くの子どもたちの命が救われました。
② 南北戦争中の支援活動
アメリカ南北戦争(1861年-1865年)の際、アン・ジャービスは「母のための作業クラブ」を通じて、北軍・南軍を問わず負傷兵の看護や物資の提供を行いました。
戦争によって地域社会が分断される中、彼女は「敵味方関係なく、人道的な支援をすることが大切だ」と考え、中立の立場を貫きました。
③ 戦後の「母の友愛の日」
戦争が終結すると、南北の対立は依然として根深く、住民同士の争いが続いていました。アン・ジャービスは、和解を目的とした「母の友愛の日」(Mother’s Friendship Day)を開催し、南北に分かれていた兵士や住民が互いに手を取り合う機会を作りました。
母の日にカーネーションを贈る理由
① アンナ・ジャービスの母への思い
アンナ・ジャービスは、母アン・ジャービスを偲ぶために白いカーネーションを祭壇に捧げました。彼女は、
「カーネーションは、母の愛のように色あせることなく長く咲き続ける花」
と言い、この花を母の日のシンボルにしました。
② 白と赤のカーネーションの意味
その後、母の日が広まり、「白いカーネーション」は「亡くなった母への追悼」、「赤いカーネーション」は「健在の母への感謝」を表すようになりました。
現在は、日本をはじめ多くの国で「赤やピンクのカーネーションを贈る」のが一般的です。