お知らせを表示するにはログインが必要です。このエリアでは、楽天市場でのお買い物をもっと楽しんで頂くために、あなたの利用状況に合わせて便利でお得な情報をタイムリーにお知らせします!
ようこそ 楽天市場へ

煙管(きせる)について調べたこと

公開日:2024/08/02 更新日:2024/08/02
せっかく販売しているので、煙管(きせる)について調べてみました。(長文すいません、、、)
1.煙管の歴史
喫煙は元々アメリカ大陸の風習で、中南米の先住民族が宗教的儀式に用いていたものが、コロンブスによる「新大陸発見」によって15世紀末~16世紀初頭にヨーロッパに持ち込まれたとされます。J.グッドマンによれば、ヨーロッパで一般消費が始まったのは1570年以降とのこと。一方、日本には、16世紀後半ごろに伝わった(※1)と考えられているため、ヨーロッパで広まってからたった30年弱で極東の島国まで伝わったということになります。早っ。 タバコのいちばん最初の伝来ルートは諸説あり、定かではありません。ヨーロッパの宣教師経由か、東南アジアか、韓国/中国か。いずれにしても、「アメリカ起源→16世紀初頭にヨーロッパ伝来→16世紀後半に普及→16世紀末にアジアに伝搬」という流れだと考えられます。 そして煙管は、タバコとセットの喫煙具として一緒に伝わってきました。煙管の語源にも、カンボジア語のkhsier(=パイプ)だ、いやいやポルトガル語/スペイン語のque sorber(=啜る)だ(※2)、と諸説あります。 江戸時代初期に普及しはじめたタバコとともに、江戸期を通じて煙管は発展を続けます。ざっくり言うと、17世紀までは細身でシンプルな羅宇煙管、18世紀~19世紀と時代が経るに従い、様々な形状・装飾の煙管が作られた、という感じです(具体的な構造については後述)。 時代はくだって1920年以降、日本では急速に紙巻きタバコが普及し、煙管は急激に廃れていきます。 ※1  フランシスコ会修道士ペドロ・デ・ブルギーリョスは、1601年に来日し徳川家康に謁見した際、煙草を献上しました。その当時の日本には既にタバコがあると報告書(スペイン王宮博物館蔵)に明記しています。 ※2 個人的に、後者はちょっと無理矢理な気がします。sorberって「液体をすする」って意味ですし。
2.プロダクトとしての煙管
2-1 代表的なキセル 最も一般的な煙管は「羅宇(らう)煙管」と呼ばれるもの。「らう」の語は、ラオスの竹を使ったところから来ているそうです。なんだか東南アジア方面から伝来した感があって良いですね、、
ちなみに当店で扱っている羅宇キセルは、ラオスの竹ではなく、日本の女竹を使っています。作家さん曰く、「男竹より女竹の方が節が少なく繊細な感じ」なのだそうです。 初期の羅宇きせるは河骨形(こうぼねがた)と呼ばれ、火皿が大きく、細身で湾曲した雁首、長めの羅宇が特徴的。時代が経るに従い、刻みたばこの製造技術が上がり、「細刻み」と呼ばれる”髪の毛ぐらいに細く刻んだたばこ”が嗜まれるようになって、火皿が小さく、羅宇が短くなっていきました(※3)。 一方、火皿から吸口までが全て金属で作られた煙管は「延べ(のべ)きせる」と呼ばれます。
時代を下るに従い、単なる喫煙具から、身分や自己表現をあらわす装飾品として扱われるなかで、羅宇キセルに比べて意匠を施す部分が広く取れる延べきせるも多数製作されました。 ※3 初期の河骨形きせるの羅宇が長いのは、たばこの品質が低かった為、煙管全体を長くし、煙を冷やして吸味をマイルドにする意図があったものと考えられています。なお、ヨーロッパに比べアジアのたばこは細く刻まれるが、日本のそれは特別に細いのですが、理由は不明のようです。オシャレ心でしょうか。(『日本の美術9 No.412 喫煙具』より) 2-2 その他のバリエーション 前述のように、日本で喫煙が一般に普及し始めたのは16世紀後半~17世紀前半ばと推定されますが、この時代はまさに戦国時代~江戸時代への転換期であり、文化的には後に「歌舞伎」等の芸能へとつながっていく、かぶき者が生まれた時期にあたります。常識や権力に反発し、奇矯な容姿・言動を好む彼らにとって、喫煙、そしてそのための道具は格好の”自己表現”の場になりました(※4)。 かぶき者キセルの代表的なものが、長さが1mもある「花見きせる(伊達きせる)」であり、帯刀できない町人のかぶき者(町奴)が護身用(and ケンカ用)にと作らせた、総鉄製の「喧嘩きせる」です。 また江戸時代を通して、様々な形状のキセルが作られました。注連縄(しめなわ)をモチーフにした「手綱形きせる」、懐に入れやすいように扁平な形をした「刀豆(なたまめ)きせる」など。変わったものには、吸口が2つに分離し、2人で同じ煙管から吸える「夫婦きせる」(※5)というものもありました。
手綱型キセルは、歌舞伎のなかで石川五右衛門が持つことで有名です(※6)。 伝統的な形状ではありませんが、わかる人が見ればわかる、あの「斧キセル」も作ってみました。
※4 ドラマでも映画でもヤンキーが煙草を吸う描写が出てきますが、江戸時代には既に喫煙に「反社会性」の記号が付与されているんですね、、 ※5 ファミレスで微笑ましいカップルが、1つのグラスからストロー2本でコーラを飲むやつです。時代が変わっても意外と考えることは変わらないという好例ですね。 ※6 ちなみに史実上の石川五右衛門は豊臣秀吉の時代に釜茹でにされたのに対し、手綱形きせるは江戸後期の流行なので、時代考証的にはアレですが、歌舞伎はエンターテイメントですので、、
3.余談:タバコと堺刃物との関連について
少し話は逸れますが、江戸時代の200年がいかに創発的に文化を醸成したのかを示す好例として、タバコと堺刃物との関係を挙げます。(とっても偶然ですが、当店、堺の包丁も扱ってますので、、、!) タバコの普及にさかのぼること半世紀、種子島に火縄銃が伝わります。1543年ですね。火縄銃はすぐに国産化され、16世紀下旬には日本各地で鉄砲の量産がされるようになり、堺も鉄砲製造の一大拠点となります。堺は特に織田信長(※7)、後に豊臣秀吉とのつながりで、彼らの戦略に必要な鉄砲を大量に生産していました。 「16世紀後半に日本で生産された鉄砲の数は、当時のヨーロッパの全鉄砲数に匹敵するとも言われたほど」多く生産されていた鉄砲も、関ヶ原の合戦(1600年)、また大阪夏の陣(1615年)以降、大掛かりな戦争が無くなってしまった日本では需要が無く、生産は激減しました。 作るものが無くなった堺の商人が目をつけたのは、当時流行り始めた「タバコ」です。タバコをキセルで吸うためには、収穫したタバコの葉を細かく刻む必要があり、増えていくタバコ消費のために、タバコ包丁の需要も増える。そこで堺はタバコ包丁の生産にシフトし、その高品質さから、17世紀前半には既に名産品と認知され、1758年には幕府から「堺極」の刻印と専売の許可を得ます。 しかし、また次の転機が、、、せっかく幕府のお墨付きをもらった、たった半世紀後(19世紀前半)に、包丁による手刻みよりも効率良く高品質な細刻みが可能なカンナ刻み器、ゼンマイ刻み器が相次いで開発され、タバコ包丁の需要が無くなってしまったのです。なんという不遇、、 仕方がないので料理用包丁の製造にシフトします。が!結局現代に至るまで、堺の包丁は世界に誇る一級品の包丁を生産し続けているのが凄い。鉄砲がダメでも、タバコ包丁がダメでも、技術とアイデアで乗り越える。これ、めっちゃ良い話だと思うんですよ。 ※7 長篠の戦いで、織田・徳川連合軍が武田騎馬隊を「三段撃ち」で撃破した、は嘘っぽい、というのを最近初めて知りました、、、
4.まとめ
ということで、キセルの歴史とバリエーション、あと少し脱線した話をしてきました。世界的に禁煙の流れが加速する中、喫煙具の話をするのもどうかと思いましたが、、キセル、プロダクトとしてめっちゃ面白いんですよね、、引き続き新商品開発・プロモーション、頑張ります。