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お福酒造「お福正宗」ー現在の酒造りの基礎を作った黄綬褒章受章の酒蔵

公開日:2025/02/06 更新日:2025/02/17
黄綬褒章受章の酒蔵 お福酒造
お福酒造は、明治30年(1897年)に岸五郎によって創業され、新潟県長岡市の東山山系の麓に位置する酒蔵です。創業当初は「岸五郎商店」として誕生し、岸五郎の研究心と技術革新によって、日本酒の品質向上に大きく貢献しました。特に、彼が執筆した「醸海拾玉」や乳酸を活用した「速醸もと」の技術は、醸造業界に大きな影響を与えました。 昭和24年に「お福酒造株式会社」として改組され、創業者の理念を受け継ぎながら、濾過を最小限にした個性的な酒造りを貫いています。2004年の中越地震で大きな被害を受けましたが、地域の支援を受けて復興し、山古志産の酒米を活かした酒造りを再開しました。 「飲むほどに福が招かれる」という想いを込めた「お福正宗」は、長岡の地酒として、豊潤な旨みと心地よい甘みを大切に守り続けています。
お福酒造は、「新潟の酒」ではなく「長岡の地酒」としての誇りを大切にし、地域の特色を活かした酒造りに取り組んでいます。その一環として、山古志(旧山古志村)との深い関わりが生まれました。この取り組みには、酒蔵と地域が共に発展し、持続可能な関係を築きたいという想いが込められています。 山古志は長岡市の山間部に位置し、冬には3〜4メートルもの積雪がある豪雪地帯です。この地域では、国の重要無形民俗文化財である「牛の角突き」や、世界的に評価される「錦鯉」の養殖が行われ、近年では海外からも多くの愛好家が訪れています。また、丘陵地に広がる美しい「棚田」は、四季折々の絶景を見せ、多くのカメラマンを魅了する景勝地でもあります。 1997年3月、お福酒造は山古志で酒造好適米「一本〆」の栽培をスタートさせました。そして、その初年度に収穫された米を使い、「山古志純米吟醸」が誕生しました。これを機に、地元の生産農家と協力しながら、酒米栽培ツアーや物産展への出店を積極的に行い、山古志の豊かな自然とともにお酒の魅力を発信してきました。
岸五郎と速醸もとの革新
岸五郎は、明治25年7月に東京工業学校(現在の東京工業大学)の応用科学課を卒業し、翌年、埼玉県久喜町の荒井伊兵衛酒造場にて醸造実習を行いながら研究に励みました。 技師として酒造に携わる一方で、醸造用水の処理や酵母の培養についての研究を重ね、その成果を明治27年にまとめたのが、酒造りの専門書『醸海拾玉(じょうかいしゅうぎょく)』です。 当時、酒造りは杜氏の経験と勘に頼る部分が大きかった中で、『醸海拾玉』は科学的な視点から醸造技術を体系化した画期的な書物でした。特に、醸造用水の処理技術の研究は、軟水を活かした酒造りを可能にする礎となりました。 また、岸五郎は酒母(しゅぼ)の製造過程において初めて乳酸の添加を試み、純粋な酵母培養を成功させました。この技術革新により、酒造りの際に問題となっていた雑菌の繁殖を防ぎ、安定した醸造が実現。これが後に「速醸もと」として確立され、現代の酒造りの基本技術となりました。 速醸もとと生もと 清酒造りでは、麹・蒸米・水・酵母を組み合わせた「酒母(もと)」が重要な役割を果たします。酒母の製法には大きく分けて「速醸もと」と「生もと」の二種類があります。 速醸もと:酒母の仕込み時に乳酸を直接添加し、雑菌の繁殖を抑えると同時に、良質な酵母を大量に加えることで短期間で安定した発酵を可能にする方法。約15日で酒母が完成する。 生もと:乳酸を添加せず、自然に乳酸菌を増やしながら酵母を育てる方法。速醸もとの倍近い期間(30~40日)がかかる上、不要な微生物が発生するリスクもある。 かつては「生もと(きもと)」や「山廃もと」が主流でしたが、発酵の安定性や醸造期間の短縮を図るため、現在では多くの酒蔵が「速醸仕込み」を採用しています。この速醸もとの基礎を築き、実践したのが、まさに岸五郎でした。 明治27年、岸五郎は研究の集大成として『醸海拾玉』を出版し、酒造りにおける科学的アプローチを提唱しました。その後、江田鎌次郎氏によって技術体系化が進み、速醸もとは全国の酒蔵に広まりました。 この革新が評価され、岸五郎は醸造協会主催の第1回全国清酒品評会で主任審査員および主任評議委員を務め、昭和16年には醸造技術功労者第1号として表彰。そして、昭和33年には醸造業界で初めて黄綬褒章を受賞するなど、近代清酒造りの発展に大きく貢献しました。
更新日04/0804/0104/07集計