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抹茶の歴史をわかりやすく解説|発祥は中国?日本だけの文化?

公開日:2025/03/22 更新日:2025/04/24
今や「MATCHA」といえば多くの国で伝わるほど、抹茶は世界的に人気を高めています。日本の代表的な飲み物である抹茶ですが、そもそも日本ではいつから飲まれるようになったのでしょうか? 本記事では、知っているようで知らない抹茶の歴史を、わかりやすく解説します。
日本の抹茶の歴史について【年表で紹介】
まずは、日本における抹茶の歴史を、時系列順に解説します。
【平安時代】
そもそもお茶の発祥は中国で、日本よりずっと昔からお茶を飲む文化がありました。お茶は嗜好のためというよりは、体調を整えたり病気を防いだりする薬のような意味で飲まれていたようです。 このお茶が中国から日本に始めて入ってきたのが、805年といわれています。この年、日本から唐(今の中国)に渡った弘法大師の空海(くうかい)が、チャノキの種子を日本に持ち帰って植えました。 しかし当時の日本でのお茶は貴重な存在で、貴族など上流階級のほんの一部の人しか飲めませんでした。よって、日本国内ではお茶文化はあまり根付かず、いったん廃れてしまったようです。
【鎌倉時代】
鎌倉時代になると、今度は栄西(えいさい/ようさい)という禅僧が、禅の修行で訪れた宗(当時の中国)からチャノキの種子を日本に持ち帰り、日本で栽培を始めました。 栄西は日本でもお茶文化を普及させるため、宗で得たお茶の知識を『喫茶養生記』という茶記に残しました。喫茶養生記には、お茶の育て方や飲み方、効果効能などが書かれています。 栄西が広め始めたお茶文化は、栄西の弟子である明恵上人(みょうえしょうにん)によってさらに発展を遂げます。明恵上人は栄西からもらったチャノキの種子を、京都府の栂尾(とがのお)に植えて栽培を始めました。このお茶は栂尾茶(とがのおちゃ)とよばれ、そのクオリティの高さから人気を博しました。 さらに明恵上人は、お茶の栽培場所を栂尾から同じ京都府内の宇治に移しました。明恵上人は宇治の人々にお茶の栽培方法を伝授し、これがのちの宇治抹茶を含む宇治茶につながります。
【室町時代】
室町時代には、村田珠光(じゅこう)という人物により、「わび茶」とよばれる茶の湯が生まれました。 それまでの茶の湯では、華美な茶道具や広い茶室が一般的でしたが、わび茶では正反対で、地味な茶道具や小さな茶室が好まれました。質素ななかにある本質的な美しさや趣を、わび茶では重要視しているのです。 また、正確な時期はわかっていませんが、15世紀~16世紀頃には宇治で被覆栽培(覆下栽培)という茶葉の栽培方法が確立されました。被覆栽培は抹茶を作るために必須の栽培方法で、実質的に、これが日本特有の抹茶の誕生といわれています。 被覆栽培は、チャノキに藁やよしず・こもなどの覆いをかけて直射日光が当たらないようにする方法です。直射日光に当たらずに育った茶葉はテアニンが豊富になるため、甘みや旨みが多くなります。そのため抹茶の味はまろやかで甘くなるのです。
【安土桃山時代】
村田珠光が生み出したわび茶は、孫弟子である武野紹鴎(たけのじょうおう)によって、より発展しました。 さらに武野の弟子である千利休がわび茶を確立させました。千利休は、お茶席で抹茶をふるまうことを相手に対する大事なおもてなしと考え、その心得を弟子たちにも伝えたといわれます。 こうしてわび茶を含む茶の湯(茶道)が発展し、抹茶を使ったおもてなしも広まりました。
【明治時代】
明治時代に入ると、宇治だけではなく愛知県の西尾市でも抹茶の生産が盛んになりました。西尾はいまや、宇治と並ぶ国内有数の抹茶の名産地です。
山年園で販売している抹茶について
当社のオリジナルの抹茶は、どれも優しい甘さで飲みやすく、人気があります。 「朝比奈」は、全国的に有名な玉露の産地、静岡県朝比奈で作られた抹茶です。甘くまろやかな味わいで、普段抹茶を飲まない方にもぜひお試しいただきたい一品です。 もっと気軽に抹茶を楽しみたい方には、「抹茶ラテ」もおすすめ。粉末状なので、お湯や水を入れて溶かすだけですぐにクリーミーな抹茶ラテを楽しめます。
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